PALOji*Walker ONCE-IN-A-LIFETIME

【大事なもの】命の次はお金?

働き方 生活

新型コロナで仕事や生活のパターンが大きく変わったことが、人生についてじっくり考えてみる機会になったという人も多いと思います。偶然ですが私も1月からブログ引越しの予定を立てていた所にこの波が重なり、生活スタイルが大きく変わりました。

その中で、今まで自分で持っていた感覚を改めようと思うに至った点を、いくつか書き留めておきたいと思います。

変化を認めて習慣を変える

habit
私は典型的日本のサラリーマンですので、土日祝日や年に何回かの連続した大型休暇が有るというパターンに合わせた生活で長年過ごしてきました。

毎日朝9時から17時半までがいわゆる就業時間ということで、オフィスにはキンコンカンコンとチャイムが鳴る昔ながらのオフィスです。
なぜこうなっているかと改めて考えてみると、平日昼間の同じ時間帯に社員が一斉に稼働状態にあって、連携して仕事をする必要が有ったからでです。

しかし、強制在宅勤務の浸透によって各自の自宅がオフィスになった途端に、ITで連携を取るという必要が生まれたため、やったことない人はしばらく仕事モードにも入れない状態でした。

それでも回っている事業は待ってくれないわけで、携帯電話に頼って仕事を進める社員や、仕方なく出社して作業をすすめる社員など、就業パターンがバラバラになりました。それでも実は仕事も事業も回ることを経験することになったのですね。

以前から人事制度の変更がたびたび有り、フレックスタイムや育児時短などの制度ができたにもかかわらず、事務系社員を中心に定時で働く社員が多いため、なし崩し的に全員定時勤務的な感じになってしまい定着しないままでした。

社員のQOL(生活の質=人生の質?)向上を狙った制度なのに、ひどい場合は無理解な上司などによって遅刻呼ばわりされる社員も出て逆効果だったこともありました。

そしてさすがにこの手の人達の認識は、コロナの非常時対応という形で、実は良い意味で破壊されました。

社員や顧客との間でコラボして働く時間帯が大事なのであって、ある物理的な場所に時間きっかりに居る事自体が目的ではないのです。

そこにかける管理の労力や文化的なプレッシャーは、今の時代すでに意味が無くなったのだと理解して、新方式を受け入れて実践することが吉でしょう。

そうすれば、通勤電車にラッシュ時に乗ることが、いかに社会的にも個々の人生にも無意味なことなのかがわかってくるはずです。

毎日何かを継続すること

calendar
いきなり私事ですが、前ブログからWordpressに移行して最初の投稿が3月1日、そして3月23日からはまずは毎日投稿を目標に投稿を続けて、約半年となりました。

最近ではYouTubeで本当にためになる動画をアップしてくれている人が多いですよね。2008年頃YouTubeを見るようになってから、内輪の動画をアップロードしたりしていましたが、2019年後半位からは、ビジネス系のコンテンツで随分と勉強することができた気にはなりました。

ただ、趣味も多く分散しているので、その昔からいつでもどれをやめるかとの戦いがありましたが、巣ごもり生活が確定的になったことで、ブログ、Twitter、Insragramで毎日何かを発信しようと決めました。

決まったコンテンツを定期的に、ではなくて、「毎日なにか」を発信することで得られるものが有るんじゃないかと思ったのです。
答としては、得られるものが大有りだと思います。理由は、その分何かを仕入れなければならないからです。物知りになったのではなく、周囲からの目覚ましに耳を傾けられるようになったんですね。

発信するということは、それ以上の物をインプットしなければならないので自然と勉強になるし、自分の知らない世界がこれほどにも世に展開しているのかが、雪だるま式にわかるようになってきます。

そして、その意義は生きている価値にも直結していると思います。今この時間に生きていること ✕ やってる内容 = 生きている価値 という感じですね。

この継続を支える最強の習慣は、毎日やることだとも痛感しています。中身はともかく何でもよくて、毎日歯磨きのように習慣化することは、思考停止していても発信を積み上げていけるワザでしょう。

時間を大事にして、何かを発信し続けること

clock

生きてるってことはまぁ、命が有ることなわけですが、どうせなら笑って楽しく安心して暮らせるのが良いことは説明不要でしょう。まぁ必ず山あり谷ありになりますから、人生生まれてから棺桶に入る時までの経験値を全部ならせば、ゼロなんじゃないかと思う派ですけど。

で、命の次に大事なものというと、どうしてもお金だと思ってしまう人が多いと思います。漠然とお金持ちになりたいとか、もしまとまった金があれば云々など、良く会話に出てきたりもするわけですが。

有名人の個人資産額や、会社の規模やらを金額に置き換えて表現するランキングなどが報じられていますが、そのお金を何に使うのが良いのかは永遠のテーマなんじゃないでしょうか。むしろ使い方の方が難しいはずです。

どんな大富豪であっても、お金を使って1日24時間を25時間にすることはできません。何かの作業で時短をするのにお金を使うことはできますが、時間そのものを伸ばすことはできませんよね。

不老不死の薬ができたとしても1日24時間の長さは変えられず、その間に誰とどういうことをやるのかが、人生そのものです。なんと私も大富豪と同じ条件で生きてるわけですね、時間面では。

できることなら、この未来にのみ向けて有限で続く自分の時間を、人に感謝される何かを与える時間に費やしたいところです。何倍かになって自分に戻ってくる時が来るかも知れないので。

世界じゅうの人の輪の中で生きていくこと、それは自分以外の誰かたちと、一緒に過ごす時間の総計の価値なんじゃないかと思います。
今はまだハッキリと何のためなんだかわからなくても何でもいいと決め、今後も毎日1分でも良いので、発信する時間は持ち続けたいと思っています。