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【 DXとソンタク】日本の芸能界とか企業とか

働き方 社会 経済

日本のサラリーマンの世界にいると、そもそもの企業や業界のシステムが、世界的にも珍しいレベルで、なにかの忖度(そんたく)で成り立っているんじゃないかと思えるほど、不可解なことが起こっています。
DXで仕事も人生も変えていこうという流れを感じるこの頃ですが、なんで日本ではシステムが変わっていかないんでしょう。

 

世界の市場をみている

inaho

 

日本の文化を外国の人に説明する時に結構個人的に使ってる表現なんですが、米を始めとした農耕文化のムラ社会なんですと、大雑把に説明したりしています。

八百万の神のに守られつつ、長老や家長を敬い、一朝一夕の思いつきではなく先人の知恵を悠久の時間の中で、汗水たらして耐え忍びつつ村人総出で頑張る文化、といったところでしょうか。こういうのいいですね。

正直この影響からか、サラリーマンとして新人で入社した時に叩き込まれるのは、先輩や経営者が推し進める社内文化を早く吸収し、社会人として立派な仕事ができるようになるために、どうやったら周囲の人全てに喜ばれるように振る舞うことができるか、というような感じでした。

さて、ここまで振り返ったところで、おおかたこれは日本特有の忖度文化なのではないかと気が付きますし、DX時代となった今、概ねこれらの逆が求められているんだと思います。理由は、すでに日本国内の名だたる企業が求めるべき市場は、日本を含むグローバル市場を見ないわけにはいかなくなったからです。

企業はグローバル化しなければなどと聞くようになってホント久しいのですが、果たして本気でグローバル市場に日本人や日本経済は向かっているんでしょうか。

 

DXであぶり出されてきた

tv

このブラウン管テレビを一度も見たこと無い層も増えたことでしょうね

 

話飛ぶかもですが、テレビがオワコンだという話題を多く聞くようになっています。
日本の芸能界の仕組みというのは、世界的に見たらものすごいガラパゴスらしいのですが、コロナ以前からのDXの流れを受けて、存続の危機に面しているとも言えるほどの状況だそうです。

その根本要因として行き着くのは、世界の人々がそれぞれ持っている限られた時間を何に費やすかをちゃんと考えられているかということだと思います。

日本の地上波でもそうですが、スイッチひとつで垂れ流し視聴できる手軽なテレビがリッチコンテンツとして国民生活に完璧に浸透しました。

ただしそれは、今のように個人が手軽に発信・放送・共有できるメディアや技術が存在しなかった時代の話で、通信といえば飛脚や郵便ではなくe-mailであることが常識となった今、それがなぜか日本の芸能プロダクションは飛脚のまま閉じた業界になってしまっているらしいのです。

BTSの世界的成功を見るのが良い例ですが、DXが一足先を行っている韓国での情報発信は、プロもアマも当然のごとく世界を意識しているといいます。最低限韓英の二ヶ国語バージョンにするなど。

日本の芸能界は老若男女めちゃくちゃ質の高いアーティストやアニメや著書などの作品が溢れていると思いますが、なぜか世界にはめちゃくちゃ届いているとはまだ言えないかと。

DXでは結果がデータで超短時間で明らかになるのと、人々の興味(=時間を何に費やすか)の向け先がすぐに変わるということが可能になりました。なので、今まで有った市場がこつ然と消えてしまうというようなことが簡単に起こります。

 

日本特有の忖度文化

entertainment

民放は皆そうですが、番組の作り方は広告モデルです。コマーシャルを番組の途中に挟む対価として広告費収入を得るという宿命で作られている以上、視聴率が上がる万人受けする番組の作り方になります。

それを今日日なんと認可制の電波での放送で展開しているという、ネット時代にはむしろ驚くべき制限のなかで、各局大投資をしながら続けているわけです。

国民がここに釘付けになっているうちは芸能プロダクションを始め、テレビ局・スポンサー・制作・アーティスト・芸人を含めて本当に閉じたガラパゴスになってしまっています。

こうなってしまうのは、忖度文化だからなんじゃないかと感じます。なにも芸能界に限らず、大組織を抱える企業でも同じく現場と経営の乖離が甚だしくなっていると感じます。

DXを理解できない(勉強しない)社員は今後去るのみですが、現状そういう経営者は特に去らなくてもお金が続く限り会社は存続します。
いままで忖度が必要だったエラい人が去ったあとに、急激に有能なアーティストが事務所から離脱するとか、会社内では今まで進まなかったDXが一気に進んだり、世界的メディアに進出していくなどの動きが見えてきました。

優秀なアーティストから事務所を抜ける、優秀な社員から自分で事業をするというのは当然の流れかと思います。そうでなければ、集団忖度のムラ社会に残存です。

世界や技術の情勢が変わって引き金は引かれても、日本特有の忖度で止められている集団疲労状態かもしれません。少なくともちょっと先の未来は、現在の若年者が引き継いでいきますんで、この層が育って活躍して楽しんで行く箱を、社会や経営者には作っていって欲しいですね。

初めて日本に触れる方への日本語での挨拶を説明する時、日本語の常用フレーズでは主語と述語と目的語が省略されているので、相手の言っていることをきちんと想像することが求められる言語なんだと説明しています。なんじゃそれ?って言われます。

「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「おやすみなさい」という言葉だけとっても、前後にむちゃくちゃ省略されている主語述語の想像をもとめられるんですからね。究極は「どうも」ですね。(※ちょっとウソ教えすぎ?)