PALOji*Walker ONCE-IN-A-LIFETIME

ブログ移転しました記念に、通信回顧録

生活

世間ではウイルスが猛威をふるい、世界が一斉に影響を受けていますね。

2日間出歩かないだけで、普通にお出かけできない、というか出かけようと思えないなんとも言えない心境になります。

あいつ
うちの近くの「アイツ」

というわけで、最近忙しさにかまけて遠ざかっていたブログを、この度移転してみましたので、心機一転、どうぞよろしくお願いします。
移転元:https://pomchun.blogspot.com/

 

隔世の感

移転ツールもなにやら超便利になっていて、いままでのデータがものの2分くらいで引っ越しできちゃいました。

その昔とはいろいろ環境が変わっているようで、完全にブロードバンド仕様に世の中は変わったんだなと感じます。さらに今年は日本でも5Gがリリースされるということで、ケータイでもなんでもどこでもネットにますます直結していく時代にリアルになったわけですなー。

私がネットに初めて接続した時のことを覚えてます。1990年、2.4Kbpsのモデムをアキバで衝動買いし、Macのシリアルポートにつなげてアナログ電話回線に接続、ATDT03-****と打ち込んでリターンキーを押したときでした。一瞬何が起きているかわからなかったけど、ピーーーーヒョロヒョロ音の後に、確かにどこかに電話がかかって、文字で返事がいっぱい返ってきた事に感動したことを。

その後9.6K、14.4Kモデムと買い進みましたが、遠くへの出張時などにはつながらない時もあり、そのときには音響カプラーで300bpsでつないだことも有りました。文字通信でも支障をきたす速度ですが、文字だけのやり取りならメールでコミュニケーションできたのがすごいです。

56Kのモデムが発売される頃にはISDNが登場し64Kで安定してつながるようになりました。それまでは通信は従量制しか契約してなかったので、ISDNを定額制で入れて嬉しすぎたあまり、用もないのにインターネットラジオ放送を流しっぱなしにしたこともありました。いまとなってはかわいすぎる喜びようです。

ISDNのTA(ターミナルアダプタ)

しかし、当初から20倍以上の速度になっても通信速度はまだ64Kです。0.064Mbpsですから、webページの閲覧では、相当の遅さに我慢しなければなりませんでした。重い画像がぶら下がっているページは敬遠され、どうやって速く表示できるかがアクセス数に直接影響し、その技術を競うなどという場面もありました。これはブロードバンドになっても世の中では生きているとは思います。

 

ADSLってのがありました

次に、確か2001年にADSLを契約しましたが、この時は、アナログの電話線で数Mbpsが出るのか!と本当に驚きました。専用線の何分の1かで家庭でも使える回線が引けるのかと。このころからブロードバンドと言い出したような気がします。ま、下りで2Mbpsも出なかったけど、相当にwebの閲覧が楽になって、この頃から画像などの大容量データ(1Mバイトとか)を添付したメールをよく使うようになった感じです。

ADSL契約の時のエピソードを思い出しましたが、自宅に入れたので会社にも引きましょうといって手続きしようとした時の、拠点工務担当者の焦りようはすごかったです。

「そんな新技術だとか速いとかいって、得体の知らない高周波かなんかの信号を流して、他の通信回線に影響が出たらどうするんすか!?」と。

NTTとプロバイダからわざわざ来てもらい、2時間くらい説得してもらってなんとか2ヶ月後に開通しました。当時は待ち行列が長かったのです。

交換局から少々遠かったので2Mbpsも出なかったものの、生活は一変したと感じてたわけです。

 

で、光回線に

その後すぐ、2002年には光回線を導入し、2Mbpsから100Mbpsになりました。

実効速度が80Mbpsくらいだったんですが、これはパソコンや周辺機器の限界にも当時は近かったと思います。

ここまで来れば今の生活にかなり近くなりました。サーバーに動画を大量に置いておいて外からアクセスしてもらうのも当たり前になり、今では当たり前になったリモートワークなんてのもリアルに可能になったわけです。

今ではIPv6の時代にもなり、光を引いて気軽に1Gbpsとかという事になりましたね。おそらくモバイルの世界もこれから数年できっとこんな感覚になるんでしょう。

5Gになったら屋内でPCの人も、パケ代、あ、今はギガを気にしてた人もマジでシームレスになりそうですね。

では、全世界の人々の健康を祈りつつ、これからも歩き回っていきますのでよろしくお願いします。