【有名税みたいな話】人の本能ですかね?
飲酒運転で問題を起こした有名人が、メディアによって広く報じられることになりました。これに対し社会は大きく反応しました。
私はメディアで報じられてしまうのは、有名人だったからなんじゃないかと直感しました。
メディアが社会に及ぼす影響
何をいまさらと言われそうですが、昭和で最も発達した大衆メディアといえばテレビじゃないでしょうか。
年齢関係なく国民に広く浸透しました。テレビが導入される前はラジオ、その前は新聞や雑誌でしたが、音声と動画を同時に1対多で放送できるとあって、どこの国でも大きな影響力を発揮しています。
また文字情報チャネルでは、新聞・雑誌などの情報流通ルートが大昔から確立されていますね。
テレビ・ラジオに限らず、印刷物系メディアも、NHK以外ではスポンサーの意向が大きく反映される広告モデルがほとんどですので、基本的には視聴率や部数を伸ばせれば利益になる構造計算と言えます。
そのために各メディアでは、いつの時代でも大衆に魅力的と感じられ、見られる読まれるコンテンツを作ることに日々奮闘しているわけですね。
テレビの絶大な訴求効果を通して大衆に知られた人は、有名人・タレントなどと呼ばれて多くの人に認識されることになります。
そこで問題となるのは、今回のような超有名人が起こした飲酒による交通事故や、不倫・不正・犯罪などの負の出来事をスキャンダルとして取り上げることです。
他人の不幸は蜜の味
他人の幸福は飯がまずいと思える人もいると思いますが、よくことわざ的に言われるのが、他人の不幸は蜜の味というフレーズです。
自分と同じような境遇の人でも起こり得ますが、より裕福だったり成功していたりだとかの人に不幸が訪れたときには、高揚して気が晴れる人が多いと、実は科学的に立証されています。
脳科学の分野でドーパミンを測定するなどして明らかになったそうですが、これが本当なら、人は生まれながらにして嫉妬の心を持っていて、それが他人の不幸という形で解き放たれると快感を得るということになります。
似たような本能の話では、昔ケモノだったときの記憶がヒトのDNAに刻まれているとやらで、先急ぎの心理というのがヒトには組み込まれているそうです。道路で運転するときに追い越してでも少しでも先に着きたいとか、道いっぱいにのんびり歩いている人がいるとイライラするとかの原因です。
話がそれましたが、有名人をメディアで叩くということが、大多数の社会の人々の関心を惹きつけるということがわかっていてそういう記事が書かれて撒かれていくのですね。
個人もがメディアを得た
時は平成・令和になり、いよいよメディアはインターネットにシフトしてきています。テレビオワコン説がよく聞かれるようになりましたが、まだまだテレビが放送していることは、お墨付きの正しいものだと信じる人は多いでしょう。
そのもっともらしい理由は、素人でも一般市民でも、テキトーであっても嘘や捏造であっても、簡単に世界の無数の人に発信することがインターネットでできるようになって、メディアとしては信頼をまだ勝ち得ていない状態なのかなとも思います。
広告の動向を見ていると、今までの電波系・印刷物系は、インターネット広告の伸びには到底追いつけなくなり、すでにインターネット広告は、テレビ広告を抜いてしまったようです。
これは、人々の関心のありかがもうインターネットに移ってきたという事実を表していて、誰かが作ったコンテンツをただ一方的に鵜呑みにすることでは、各個人のニーズが満たされなくなってきたということなんだとも思います。
それでもゴシップ・スキャンダルはインターネットでも出せば見られることは発信側はわかっていますから、まだまだ有名人の不祥事は報道され続け、なかにはかなりの捏造も横行していることが明らかになってきています。
まだまだAIも進化し、ネットでの犯罪を含め監視社会の様相は深まっていくことは確かですが、人が持っている本能は消えるはずもなく、それを糧にしたこの手の活動も止むことはないのかと想像します。
せめて出来心で多少の過ちを犯した有名人を、数の論理で一斉に叩いて、個人とその周辺の人も含めた人生を台無しにしてしまうような報道は、人として謹んだほうが良いと思うんですけど。
書かれる人も、書く人も、それぞれAIが勝手に中身を精査して信用スコアに反映する仕組みがもし実現したら、社会的に可視化されすぎてこれまた本能的に満足してしまう人が多いかもしれませんね。