東京の閑散と、これからの働き方
ウイルス関連では、ついに今日WHOからパンデミック宣言が出ました。
また、想定していたとはいえ、今朝はリーマンショック以来の株価下落となり、2008年10月に目の前でガラガラと株価が下落していく様を思い出します。
各社ではつぎつぎと感染予防の対策が打ち出され、早いところでは先週にはリモートワークにほとんど切り替えたなどの話も入ってきました。
私は東京駅から徒歩の事務所にもう長い期間にわたり通勤しています。
この部署では設備を使った製造などは行っていないので、仕事を進めるためのインフラがそれなりに装備されているものの、使い方やその意義について語られていない風土なためか、いつものように出勤してきては普通にチャイムに従って働いている人がまだほとんどです。
危機意識が無いと言う前に、思考が長年にわたり停止しているんだなと痛感しています。
政府が非常事態宣言を出せるようにする法案が今日通りました。じゃ今はまだ非常事態じゃない?と安心している場合でないですね。
これからが頭の使いようだと思いますし、この世界的「騒動」をバネに、働き方、生き方を仕切り直していくチャンスなんじゃないかと思い、考えをまとめておきたいと思います。
会社の事務所は大都会の中心に有るべき?
始業・就業のチャイムは必要?
リモートワークであぶり出される雇用問題
会社の事務所は大都会の中心に有るべき?
今回のコロナウイルス対策では政府から、人の密集したところ、換気が不十分な空間、長時間の他人との近距離会話を避けましょう、とアナウンスされています。
これって、朝のラッシュ時に同じような時間帯にわざわざ混んでる通勤電車に乗って通勤する習慣を全否定しているとしか思えません。
通勤電車が大好きという人はまずいないと思います。百害あって一利無しで、過剰投資などの社会的損失も大きい上に、利用者として特に長年経験してきて残ったのは、事務所についた時の疲れ切った感覚です。
朝の一番冴えた頭でものを考え、話し合いをするべき時間に、最悪の心理状態で臨むということ自体、国家レベルでの損失なんじゃないかと思います。というか、そう思っている人が大多数なんじゃないかと想像します。
でも、昭和40年代ですか?高度成長期にできてきたモーレツ社員文化を引きずっている世代の人たちは、時間の過ぎ方にも外部の変化にも対応しにくい役職者・経営者となっていまだ残っているわけです。老害、では片付けきれない、なにかとても大きい宗教的なイメージも感じます。今は高度成長どころか、世界的に混沌の時代ですから。
IT、インターネット有りきの現代において、都会のど真ん中に存在する事業所の必要性、物理移動や本来の知的生産性向上施策をよく考えるべき時に来ていると思います。すでに手を打っている会社とそうでないのとでは事業存続にも関わると、この機に意識を新たにした人は多いのではないでしょうか。
働き方改革と叫ばれて久しくなりますが、本来は皆「生き方改革」がベースであって、その中でどんな仕事をするのかという見方で考えていく必要がありますね。都会で通勤して働いているいわゆるサラリーマン全員の課題かもしれません。
始業・就業のチャイムは必要?
勤め先の労務関係では、法律で定められていることを守ることはもちろん、企業ブランディングのための福利厚生制度などがいろいろと整備されています。
36協定や同一労働同一賃金への動きに始まり、残業・休業・労務管理方法などなど、言い出したらきりがないほど規制で年々しばられてきています。
その中で最近とみに疑問に思うことは、チャイムです。職場ではあのキンコンカンコンのチャイムが9時・12時・13時・17時半に鳴るのです。いまだに。
その昔の事務所や工場ではその意義は大きいとも思いますが、最近の事務職の職場では、会社から時間の管理すらできない社員だと思われているような気がします。
近年は学校ですらチャイムを鳴らさないそうじゃないですか。生徒を信用しているんですね。学校ではみんなで一斉に授業を受けないと、教える側も教えられる側も機会損失になりますから、いわゆる定時、時間を縛ったほうがいい分野では有ると思いますが、それでもチャイムは鳴らなくても普通に過ごせているそうです。
時間の使い方、その先を考えると、もうすでにITが有るじゃないですか。時間に縛られないVODの授業の方が、内容の理解が深まる、QOLが上がるなどの効果もあると思います。
小中学校などの心と体を上手く鍛えていく過程では程々にしておいたほうがいいでしょうけど、受験や資格試験に特化した授業はIT無しには考えられない時代、具体的にはスマホ有りきになっていると思います。
また同じ職場には、ご多分に漏れず正社員・契約社員・派遣社員・ユーティリティ業者・来客など、立ち位置や職務区分の違う社員が働いています。
フレックス制度を利用している人をとっただけでも、このチャイムのせいで9時以降に来ると遅刻の悪いやつ、17時30分前に帰ると仕事を放り出した定時以前に帰る無責任なやつというような「無言の文化圧力」がかかって、結局上手いこと運用が進んでいません。この損失については、会社側も社員側も認識してない、または見て見ぬ振りなんじゃないかと思います。
こんなことならチャイムは廃止したほうが良いと思うのですが、もう何十年も続いています。変化を嫌うというか、思考が停止しているのではないかと思います。
リモートワークであぶり出される雇用問題
そんな職場でも若干取り柄が有りました。クラウドベースのグループウェアの導入を数年前に行っています。
これのおかげで、昔はメールの送受信をする前に自分の保存容量オーバー分のファイル削除に30分要してたとか、メール検索に一件1分かかってたとかいうことは無くなり、だいぶ改善されました。
が、
このメールを使うこと自体が仕事の目的になったり(本来はひとつのツールですよね)、メールを見ていることありきの仕事フローに慣れすぎて知的生産性が落ちたりということが最近問題になっています。
メール(最近は電子メールと言わなくなりましたね)を使う文化はまだまだ日が浅いわけですが、ここでも教育・勉強不足や、古き良き時代の冗長な挨拶などに代表される、忖度や不器用さがメール文面に綴られてしまっているケースが目立ちます。これは年上や格上の人を敬う文化の出しすぎや、メール送りっぱなしで安心するヤバい文化になっちゃってるのでは?と思います。
また、国語をきちんと勉強したり文面を打つ練習をしてない人が、意味不明な文章を書くことによって受け手が混乱し、質問に次ぐ質問のチェーンメールみたいな事になってしまうケースも多発します。それって最初のあいまいメールさえなければ発生しなかったよねみたいな、俺の数時間を返せ的な案件も多い。
これら相まって、業務上の意思決定や、深い思考などの邪魔になりまくっていると思います。
SlackやZoomの話をしても「何ですかそれ?」とか、せめてチャットやビデオ会議のアプリとかの機能がすでに入ってるのでこれで打ち合わせましょうと言っても、どうしたらいいの?と訊かれる始末ですので、会社がそのための教育をするかググるかになります。前者はこれからはありえないでしょう。
しばらくは必然的に経済の停滞となるでしょう。リーマンショックの時がそうでしたが、今回はそれ以上のインパクトを今の所感じています。そうなると最もコストカットの対象となるのは人ではないかと思われます。
通勤しなくても物事が決められて、効率よく進められるようになって収益と生産性が上がったと思えるに至った人は、変化に耐えられるという意味で、生き残れるのではないかと思います。それがかなわない人はまだ見えない経済回復までの間、つらい日々が続くでしょう。
会社にサラリーマンとして生き残るのが良いのかどうかはまた違う次元の話になりますが、昨年来、業績が良い会社(日本の大企業!)で大胆な早期退職制度を進めたことからも、傾向は明らかだと思います。
話飛ぶようですが、そんなこんなで実際は、時間管理のされていないカテゴリーの社員は、自分のアタマで考えて自主的にでもラッシュ時の満員電車を避け、リモートワークで意思決定のためのディスカッションを行い、世間にウイルス蔓延の原因となり得る行動(これも継続して考えていかなければなりませんが)を少しでも控えるという行動が求められると思います。