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もう教育に格差が生じている

働き方 生活

最近のPCかじりつき生活を通して、ふと思い出したことがあります。

私が小学校時代に習ってきたことは、そのほとんどが紙という媒体を通してだったなぁと。教科書とかプリントとか。

プリントと言ってたものは、授業の補助に使われる教材のことですが、ガリ版(がりばん)で作られていました。この単語わかりますかね?

ガリ版は謄写版の俗称ですが、あの鉄筆を使って、ロウが塗られている原紙をヤスリの台の上に載せて原稿を書いていくのって、結構クセになる感覚で人気でしたね。

先生が毎日のように作るプリントの一角に、絵の上手な子が順番にイラストを書くなんてことも許してくれた先生がいました。

クラスの人数40数人に配られるわけなので、人気を取りたい子の宣伝になります。さすがにテストのプリントには書かせてもらえなかったですけど。

ちなみにガリ版に馴染みのない方に説明しておくと、作成し終わった原稿を手回しの印刷機に巻きつけて、インクをつけて藁半紙(わらばんし)に印刷していくわけです。印刷機の利用が混んでたり壊れた場合には、平面の板状の一枚ずつ手刷りする印刷機を使わなければならず、印刷速度は激遅でした。

なんでコピーしないの?と思いますが、その時代には今で言うトナー式のコピー機は一台も無かったのです。

特別に大事なものだけは青焼きといわれるジアゾコピーを使うことがありましたが、生徒には回ってこなかったです。コピー速度が激遅で、結果できるものは、画線部が青色と決まってました。図面とかの控えをとるような場面専用ですかね。

そして、その本とか紙のプリントとかを使いながら、生身の先生の言葉を使って授業をしながら、教育カリキュラムを進めていくわけですが、考えてみればその時代には、その方法しか教育方法が無かったわけですから、誰もそのスタイルには疑問を持たなかったわけです。

酒屋

酒屋とうとう、当分クローズに。

 

それが今はどうでしょうか。教育の現場はIT(ICT)の登場で大きく変わりました。

PCの画面は紙を大きく凌ぐ性能。紙もインクもいらなければ、優秀な講師の授業を何万人にも同時配信できる。クラスくらいの人数なら、かなりリアリティの期待できる双方向コミュニケーションを前提とした授業もできるようになっているわけです。

教える側も習う側も、要らぬ苦労の大部分を排除でき、教育の中身に集中できることで、学習効率は絶対高いはずですよね?

PCやパッド・ケータイの性能も、ここ10年くらいでもう必要十分な動画双方向コミュニケーションに耐えられるものに進化したと思われます。

まぁ小・中学生などでは、心と体の育成面では実際にアナログ、オフラインで集合しての生活を共にすることが超重要でしょうけど、いわゆる座学の部分は、ごく少数の超優秀な講師が、超多人数に同時授業を開催して効率を上げ、各自の進度に応じた管理をするようにしたら良いと思います。生徒の理解度や、講師側の質の管理などもITで超客観的になり、かつ大幅省力化できるんじゃないでしょうか。

例えば午前中は自宅で画一的な授業を2コマ受けて、それから全員登校して、体育と給食。午後はオフラインでないとできない授業だけやって、その後必要な生徒だけ先生は補習につきあい、その必要がない子は家に帰るか遊ぶか勉強するか自由、なんて方式にすれば、普通の先生は時間的余裕ができ、本来の教職に必要な業務に集中できると思います。

せっかく世の中にはインフラも道具も揃ってるのに、導入されず教育に使えてなかった現場では、今回のコロナを機に強制的にデジタル手法にシフトせざるを得ない状況に立たされてしまったわけです。逆に早期に活用していた現場では、一気にシフトできているわけですが、今度は各家庭のインフラに差があるため、やはり不公平になってしまうという問題があることでしょう。そこでは少なくとも行政が潤沢な家庭用ITインフラを整備することが必要です。

新型コロナで長引く東京都の臨時休校という記事がアップされていました。

ICT化の進み具合に大きな格差、たとえば地方自治体と教育委員会、各校の指導者の認識の差による、現場と行政との乖離が拡がってしまっているんじゃないでしょうか。

で、長期の急な休校に対応できたところとそうでないところが生じていて、もう教育に格差が生じてしまっているんじゃないでしょうかね。
年度を半年ほどずらそうかという案は今年度は実現しなさそうですし。

感覚としては他国ではICTに対するリテラシーも力の入れよう(予算のとられよう)が日本より高い印象がありますね。

情報のやりとりをすることは、人が生きている間には誰にとっても必須事項だから、日本ももっと家庭で環境整えるための予算をとったほうが良いと思います。

もう、スマホやPCが使えない人が居るからオフラインとか、生身の人間がオフラインで集って物事を進めるという「前提」で社会を作るべきではないでしょう。

オンラインを主として、特殊対応としてオフラインのインフラを整えておくという時代になると思っています。