PALOji*Walker ONCE-IN-A-LIFETIME

選択と集中って、、、できない

社会

珍しく「モノ」ではない話題、持論の書きなぐりです。
さぁー、わけわからん事いきますよー。

選択と集中

選択と集中が成功のカギ、なんてことを言いますね。激しく同意です。
ただこうなんていうんでしょう?自分に当てはめた場合どうもできないことのようなんですよね。
ハナっから成功するつもり無いんでしょ?と思われても仕方ないっす。
なぜできないか?集中できないからなんですね。

自分はまぁおそらくADHDだとは思いますが、それは症状からして想像することでして、お医者さんに診断してもらったほうがいいかも?

要は自分は生まれてきて死ぬまでの間に何をやりたいんだろう?って考えれば考えるほどその時間がもったいなくなってくるんです。
なので、その時その時、つまり今何をやりたいんだろうを感じて、とりあえずどうやったらそれが叶うのかに全集中するみたいなクセがつきました。

自分から湧き出る何かをやりたいと思ったこと、それを叶えるために必要になってくるのはリソースですね。資源です。
よくこのリソースについて優先順位の付け方が難しいよなーと思うんですが、私が考える「自由にならない順」のリソースを書いてみます。

自分の力ではどうしようもないものとか事は、存在しています。

リソース(自由にならない順)

1. 時間

最も自由にならないのは時間です。1日は24時間ですから。
どんな努力しても、常人では地球の自転速度を変えられません。
時間ってのは語るまでも無い当たり前・当然の概念ですが、24hをどう使うのかは全部自分が決めてる割に、なぜか自分で延長も短縮もできない。全人類平等に1日は24時間なわけです。どんな富豪でも伸ばせない。

つまり時間を「どう」使うのかが最重要で、良くも悪くも時間はただただ過ぎていってしまう。
過ごした時間とその内容で、自分の脳細胞の中の回路が少しずつ、記憶という名のもので組み替えられていって次のアウトプットに続いていく。
過ぎていく「今の時間」を自分でどう過ごすかの選択、快適にしていくことって最優先だと思う理由ですね。
自分の力が及ばない何かから、時間をゲットするために抜け出す必要が有る場合多しです。

2. 健康

次にどうしようも無いと思うのが健康、つまり自分のリアルの身体の状態のことです。
食べたものをいちいち自分で命令しなくても消化して排泄されるような仕組みになってるのはメチャ便利だなぁーと思います。
でも、多様な細胞の塊としての生命体であることは全人類共通なわけで、いくら科学が進歩した現代でも、不老不死は達成できてません。
故障したら修理してくれる技術も物質も施設も世界中にありますが、まだ達成できないわけですよ。
病気にでもなった時には、今現在与えられた環境で最善だと思われる事に時間を費やすのが良いと。
ベストと思われるのにそれが最先端でも最善とも限らないし、答でも命令でもなんでもない。
どうしようもない、どうもならないのが健康、と思う理由ですね。

3. 人

人は一人で生きられない、これは皆共通、でいいですよね?
自分も人、相手も人、人が複数あつまると集団というパワフルなものになったりする。
極論ですが、自分以外の人や集団を、自分の思い通りに変えることなんかできないと思ってます。
行動は変えられることもあるけど、性格とか人間性とかいう部分にまではなかなか踏み込めない。まぁ無理かと。
でも生きて生活していると、相手とか第三者とかを変えようと思ってしまう場面に遭遇するわけです。

最たるものが私も長年経験した仕事というくくりです。
これ仕事なんだからという「言い訳」を言うと、容易に説得されてしまう人が社会にたくさん居ることってが、なんかつまらんし悲しい。
それって人よりカネがダイジ?とか突っ込みたくなったりする。
中にはカネと名声って人が居るので厄介なわけでして、私は静かに離れていったりしました。

 

番外) カネ

お金があればとか、自由になればなんて表現が結構出ますね。
でも、自分が快適な時間を過ごすために必要なお金以外って、要りますかね?
専門家でないのでちゃんと語れませんが、お金と言っているのはなにも日本円だけでなく、通貨のような価値を持った何か、とも言えるでしょう。
行動するパワーの素ガソリンと、エンジンオイルのような潤滑油くらい買って消費できるカネがあればいいでしょ。
ここは足るを知るって言葉がぴったりだと思ってます。(知足の蹲踞(つくばい)@龍安寺(りょうあんじ)in京都)

 

そしていつもダイジなのは、自分にとっての「快適な時間の定義」だと思います。
これこそ、世の人の数だけ個性があるモンだと思ってるわけでして。
波長が合う似たもの同士ってのはよくある話ですし、集まっては一緒に楽しめる仲間として頼もしい存在、ともすれば一生の友になるってこともあり。

それでさえも、同じ人になりきれる別人てのは存在しないですよね。

自分が生まれ育ってきた境遇、得てきた経験、知り合った人々、放出してきた影響と成果物などなど、、、、
ぜーーんぶ時が流してしまって現在が在るので、「今」に集中しない手は無いと思うんですよ。
それが連続していくと、自分のキャパもリソースも速攻で足りなくなるので、いろんなモノとかコトとかを放り出すわけです。
でもそれでいいっすよね?

生きてて最大の喜びって何か?って訊かれたら、再会って答えますね。

再会の前に別れ、別れの前には知り合うとか会話とかアイコンタクトとかいろいろ有って、それが付き合いってものの入口です。
おもしろくないですか?他人の顔を認識したり、感情を読み取ったりするセンサーやプログラムが生まれながらに頭とか脳にインストールされてるわけですから。これまた自分ではどうしようもないプリインストールアプリとハードウェアなわけですよ。

今日の結論

時間・健康・人の順にダイジだと思うし、生きてる間はこれらリソースを「今」自分に使うことに集中するのが楽しい。
それ以外はオマケ、でもいいのでは?