【ハンコは敵ではない】どうやって残す
デジタル化によるハンコ廃止論で山梨県のハンコ関係者が相当に怒っているようです。
私の勤務先でも、在宅勤務をやりにくくする原因の一つ、紙とハンコについて議論にあがっています。転出転入届も、クルマの車検もまだまだ紙とハンコですので、近い将来この辺が楽に確実になっていくことを期待していますが。
法律ではないの?
ハンコを押す機会は人それぞれかと思いますが、仕事柄一番多いときで私の場合は2〜300個位の書類にハンコを押す毎日だったことがあります。これ以上の方も多いと思いますが、うんざりですね。
日常の生活では、区役所や警察などの官公署での手続き書類、保険やクルマや家などの買い物する時にハンコの世話になるという感じですかね。
私が今日知ったのは、ビジネスや公的プロセスに必要なハンコは、なんと法律で定められて捺印が義務付けられているわけではないということ。では何がハンコを必要とさせているのかというと、慣習に基づくものなんだそうです。えーーそうだったの?って感じですね。
山梨県知事まで出て
ハンコは要らない!という感じで、政府の方針が広く日本じゅうに伝わってしまったことに、日本のハンコの8割を生産している山梨県のハンコ産業関係者が憤慨しているといいます。ハンコが悪者扱いされるような表現が、伝統として産業として継がれてきた業界に、突如激震となって襲いかかった形になったのですね。実際コロナ以降商売あがったりのようです。
ハンコそのものの産業や物品を否定しているのではなく、押印という行為を認証のための手法とするとしていることを、慣習としてやめたほうが絶対に良い、ということだと思います。この点を広く全員に伝えて、大部分の人から賛同を得るところまでいくことが必要かと思います。
デジタル技術が無かった昔には、手法としては紙とハンコに頼らざるを得なかったわけです。でも日本の官僚主義とか、前例主義文化に広く支えられてしまったおかげで、そのまま改革の手が入らずに放置されてきたんじゃないですかね。
こういう慣習とか公的私的ルールに不満を持っている人や、改革をしようとしている人にとっては、この頃の政府からの発表は歓迎されていると思いますし、チャンスだと思います。手続きは必ず楽にスピーディーになり、浮いた時間は社会の資産になります。
ハンコ推進派がどうだとか、押印警察とかいう単語も飛び出し、政治の世界の中での損得勘定も聞こえてきます。少なくとも一般市民が良いと思える形に向く議論ならば歓迎したいところですが、どうでしょう。
ハンコ省略は進むか
イスラエルに住んでいた時には、日本で言う入国管理局みたいな役所や、会社設立に関わった時の公的書類、生活者としてけっこう多くの手続き、会社での手続き関係などなどの手続きで、何年間にもわたり自分で一回もハンコを押したことは無かったです。システムも風習も文化もないので当たり前ですが。一応持っていった認印と実印の置き場所を忘れそうになりました。
その代わり自分の手でサインを書く機会は相当に多く、クレジットカードも暗証を押すシステムの前でしたので、毎日のようにサインをしていました。意外だったのは、書類を発行する側が、承認や許可などの証拠として、受付印や許可印をラバースタンプで押して、そこに担当者の個人サインを重ねて書くというような風習があります。
だいたいサインというのは、名前もスペルも崩し文字なので、何書いてあるかわかりません。発行元がわかるようなちゃんとした文字のスタンプは便宜上必要だということでしょう。
つまり、契約や手続きなどの責任の所在をはっきりさせる、いってみれば言質を取るようなプロセスは何か必要で、それがハンコである必要は無いということだけなんですね。
ここにデジタルの手法を導入して運用していくわけですから、結構な投資と、使う側にとって使いやすい仕組みにするべきことは明らかです。本人確認や認証も、アナログのレベルよりデジタルにしたほうが、改ざんが難しくなることから、信用性は格段に上がると言われています。隣の机から三文判を借りて代理押印ということはできなくなるワケです。
そして、この仕組みを進めようとするときのコツとしては、そもそも誰がハンコを、正確にはハンコの押印による陰影を手続き上欲しているのかを明らかにすることです。おそらくほとんどのケースで不要となるでしょう。
行政側はすでに婚姻・離婚届の電子化をも検討に入ったことですし、シャチハタも安全・安心に加え、楽しさをハンコにもとめて商品開発すると宣言していることですし、伝統ハンコ産業を支える方々はアートの世界に刺さる新ジャンルとして、楽しさを開発していってもらいたいものです。