【連絡先難民】また別のDX問題

生活 社会

知人・友人とのお付き合いのための、連絡先を無くしてしまったことはないでしょうか。

このところなぜか、この手の相談が多く舞い込むんですよね。

 

連絡先はスマホに入っている

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スマホがこれだけ普段の生活に入り込んでくるとは、昔ながらの人には想像がつかない事態と言えそうです。

最近たまたまですが、ケータイに入っていた連絡先が全部無くなってしまったという相談が何件も続きました。

共通点としては、昔会社勤めの時に使っていたガラケーやスマホに溜め込んでいた連絡先が、機種変更のときや、誤って洗濯してしまったなどの理由で全部突然飛ぶというパターンです。

会社で全部面倒を見てもらっていたOBからの質問が多いのですが、携帯電話でいつでも連絡取れてる運用で、その便利さが当たり前になってしまい、無くなった時に途方にくれてしまいます。

もちろんバックアップの必要性とか、復活方法を習得しておく必要がありますが、普通の高齢者だとまずお手上げです。

もちろん学校で教えてくれませんし、操作に詳しい家族が教えたところでまず覚えられません。覚えてもバージョンアップと共に操作できなくなります。結局は誰かが代わりに設定してくれたものをそのまま使うしか無いんですね。

困った時にググることもほとんどの人ができない、というか興味ないしやらないので、これが途方にくれる原因でもありますね。

 

思い当たる理由

address通常なら、自分が使えない文房具の操作方法をわざわざ詳しい人に聞きに来ることはないと思うのですが、理由がありそうです。例えば、

  • 昔は電話番号を暗記していたが、今はしていない。というかまぁあり得ない。
  • 今までは紙に住所と電話番号の組をこまめに書いていたが、ケータイに移行してから紙は更新していない。更新した人のデータは主にケータイに入っていた。
  • そもそも紙の連絡先を紛失した、または作っていない。
  • 年賀状をやめた人も多いし、メールアドレスも変わった人が多い。
  • 各種SNSでたどり着こうにも、自分のIDでログインができない。

などなどで、リカバリーへの道が八方塞がりになり、終了してしまいます。新たに紙の住所録を作ろうにも、元がありません。

 

連絡先という考え方:永遠のメアド

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ただ、人が生活してて連絡をするとはそもそもどういうことなのか?と考え直すきっかけになっていることも確かだなと再認識します。

特に年賀状の季節に感じていたことですが、年に一度くらい連絡をしようと思う相手と、どんな感じの距離感で連絡を取りたいのか。

そして、連絡が取れるということは、そもそもどういうことなのか?

なんか哲学的な感じになっちゃうかもですが、人間生きてる時間はだいたい何秒間かと決まってるものなので、その一秒一秒を、誰と何をしながらどう過ごしたいのかを無意識に感じながら過ごしてる時間の連続なんだなぁと。

人と人が社会を作るわけですが、オンラインで作られる新しいコミュニティーの形が、今後もどんどん編み出されていくとは予想されます。

連絡、というかなり深いニーズをどう満たすのか、DXが進んでいくともっと考えていく世の中になるのかもしれませんね。

自分という個人に関係している連絡先情報は、少なくとも自分で確実にアクセスできるクラウドに置いておくのが良いでしょう。

そして連絡を受ける身としては、誰でも究極に到達できる、一生変えないメールアドレスを一つ持っておくのが良いんじゃないかとつぶやきたくなった日でした。