用語の選び方で心に影響
そろそろ本当に飽きてきたコロナに関連するいろんな影響。
医療にも疫学にも特に詳しくない一般市民として(?)この所思うところをメモっておこうと思います。
メディアに翻弄されたことで学ぶ
未曾有の大惨事とか、不治の病につきワクチンが開発されるまでは云々など、メディアに乗ったメッセージの洪水によって、正直生活が翻弄されたと思います。まだ日本では独自のスタイルで現在進行系なのかも知れません。
武漢での感染拡大が報じられたあたりからじわじわと、そしてショッキングな用語も交えられた情報を、着実に世間の人たちは報じられる内容を真剣に聞き入るようになりました。
やはり死をイメージさせる情報というのは、言葉少なくしても恐怖をあおるのに十分でした。
ここではメディアといっても、いわゆるオールドメディアのテレビ・ラジオや新聞等のマス・メディアだけでなく、玉石混交の情報が飛び交うネットも合わされて、相当に人々に影響を与え続けたわけです。どうやら相当協力なネット情報統制も垣間見る(というか、垣間「見れない」)ことになりました。
死者数が強調された毎日の報告にも似た情報、それをその手の専門家とされる人による実は間違いかも知れない解説、それを各自の境遇に合わせて自分で考えて行動せよ的な見えない圧力など、もう飽きましたね。
恐怖を感じてかえって改善も
風邪、インフルエンザの予防には、生活では手洗いうがい、そしてワクチンと長年にわたってさんざん啓蒙されてきました。でも正直マスクも手洗いもうがいもそれほど真剣に励行していなかった人も相当数居たんじゃないでしょうか。
それが今回のインパクトで皆励行の傾向となり、消毒・清掃・距離とり・行動制限などなどでそもそもの衛生対策が相当進んだことは間違い無いと思います。おかげで身近な所で風邪を引いた人の話はぱったり無くなったし(表面化しなかっただけかも知れないけど)、公共交通で咳き込む人は全く見なくなりました。
諸悪の根源「満員の通勤電車」というものを根こそぎ見直したのも良かったと思います。
これら、前々からこうあるべきと思っててもできなかったことや、良いと思える技術や風習が生まれたことについては、ニューノーマルとして継続発展させていこうとする動きも加速しているので、プラスの変化を起こしたという意味では良かった部分もあるでしょう。
この機に生まれた単語
コロナ禍という単語が多用されるようになりました。世界中で亡くなった方の数を思うと悲しくなるし、まさしくコロナによってコロナ脳にされてしまった人の心の集団が、人間生活に与えたすべての影響を考えると、禍(わざわい)ですから。
皆が使い始めていて気になる単語もあります。
アフターコロナやwithコロナという単語は、そもそも新型コロナウイルスを撲滅した後とか、撲滅できないなら共存して暮らせるようにしていかなければという気持ちや方向の表現だと思いますが、これも実は危険な単語だと思います。理由は、コロナ以上に人々の死因につながる病気も有るからです。わざわざwithキャンサーの時代とか、アフター肺炎の世界とか、言わないじゃないですか。
ニューノーマルというと、将来の普通を今から作っていこうという感じで良いと思いますが、コロナは最上級の悪だみたいな単語を使ってしまうと、じゃ、それ以外の疾病は考えなくていいの?という素朴な集団勘違いもしてしまうと思いますね。
県またぎという単語でも、無用なイザコザを生むことにもなったし、特定の集団に対して、無症状でもPCR検査を強制するなどというコロナ脳の人もでてきてしまいました。それやったら、余計にこじれますよね。
なんとかして人の心と、生活・経済活動を回す方向に、我々一人一人の行動をかじ切りする時になっていると感じます。
どれくらいコロナによって従来より死者が増えるインパクトになったのかを少々調べたら、厚生労働省の研究班が2020年7月31日に、過去データを元に死者数の予想を行ったものと、「実際の死者数」がどれだけ上回ったかを表した「超過死亡」を推定した資料を公開したとのことです。
考察資料(我が国における超過死亡の推定)
その結果によると、今年1-4月の全日本での超過死亡人数は最大で138人で、「欧米と異なり、国内全体で超過死亡の著しい増加はみられなかった」と結論づけているように読めます。
恐ろしく難しい説明が長文で書いてありますが、ぱっと見では、都道府県単位では2桁人数しか余計にコロナが原因で死亡していないということでしょうかね?
これ、我々にもわかるように解説してくれる人、求む・・・