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活字から画面→ラジオへ【情報の出入り口】

生活 鉄道

徐々に進んだ新聞・雑誌の電子デバイス化も、最近の通勤電車に乗ると旧に紙が皆無になった事に驚くほどです。

意外と意識しないまま今に至りますが、気が付きちょっと車内観察などをしてみました。

 

活字に飢える人

newspaper

インターネットがまだ一般に下りてきてなかった頃、海外でのタイムリーな日本語の情報源は、短波放送と週遅れ月遅れの新聞でした。

短波放送は日本や世界の中継局からの電波をいろんな苦労をして受信し、ラジオの音声として放送を聞くという方式です。

イスラエルに住んでたときにはちゃんと受信用アンテナを張っても、決められた時間に放送される電波が受信できる保証がほとんど無かったのです。でも、気象や太陽の条件が揃うとそれなりに受信できるときも有ったりして、妙な感動が有ったものです。

日本の時事ニュースを海外で入手しようと思えば、はやくて1週間、おそければ1ヶ月遅れの日本の新聞を高い料金で手に入れる必要があったので、入手したときにはそれそれは隅から隅まで深く読んだものです。

くたびれた新聞紙が回り回って10人20人の手に渡ることもありました。こういう状況のために活字に飢えるという表現があるんだろうなと思います。そしてそれが、これほどの情報過多で国境も時差も無い時代になろうとは、ちょっと予想できなかったですね。

 

通勤電車の風景が変わった

train

以前にはよく冗談で、電車の中で電話ができる時代が来ればすごいなとか言ってましたが、まさか新聞も本も通り越してスマホやPC・パッドになるとは想像しませんでした。関係ないけど、韓国では電車の中でもバンバン会話するのが当たり前で、ある意味うらやましいかも。

20年くらいまでは、ケータイでニュースや書籍を読んでいる人はいなかったと思いますが、いまや紙の新聞を広げて読んでる人、場合によっては紙の雑誌を読んでいる人が車両に一人も居ない通勤電車も、珍しくなくなりました。

私の乗っている電車をざっと見てみると、朝も夕も寝ている人3割、残り7割のスマホやPC・Padなどのデバイス凝視率8割といったところでしょうか。そして、その人達の半数はゲームに没頭、他は動画・書籍・漫画などなど、幅が広がりましたね。

どうですかね?日本だとこの風景はここ2年位の傾向だと思うんですが、韓国では10年近く前からこんな感じだったと思います。年に何回か訪問するたびにケータイが大きくなったり小さくなったり、スマホになったと思ったら巨大になったりイヤホン付けた人ばっかりになったり。

それが何年かしてから日本に入ってくるという感じでした。ここ1年位では日本でもワイヤレスイヤホンがあっという間に主流になりましたね。

活字に飢える人も実は皆無になり、ディスプレイ上の文字を読みはするものの、決して紙に印刷された情報ではないものを読んでる人がほとんどになりました。

さらに画面を覗き込んでるわけでもないですが、デバイスを何のために使うのかと言うと、時間つぶし以外に使うようになった人も増えているんじゃないかと思います。

 

音声の人、増えてるかも

standfm

見てわからないのはラジオ聞いてる人。これ、昔は普通のラジオに有線イヤホンだったのでわかりやすかったけど、今はスマホで無線のBluetoothイヤホン付けてるスタイルに急激にすすんだのでわかりにくくなりましたね。動画サイト見てるかもしれないし。

私も朝はradikoを聞いてます。その昔には通勤電車で普通のラジオをライブで聴きながら外国語の勉強をするとかがポピュラーだったんですが、地下が多くなったり都市部の電波状況悪かったりでツラくなってきたところに、radikoが始まったのでありがたい限りです。

夕方乗車時や歩いてる時間は他の音声メディアを聞くことが多くなりました。Podcastも聞くんですが、Voicystand.fmをよく聞きますね。

stand.fmに至っては、誰でも放送局になれるところも画期的で、YouTubeで動画をアップするよりもだれでもかなりイージーに始められるのが良いですね。

こう考えてみると、情報を通した社会とのインターフェイスが、インターネットでありスマホでありとなった今は、ホントに大きな転換期なんだと実感するところです。5G通信も始まったことだし、ahamoも出るし。

なんてことを思ってたら、今日ケータイを車に忘れて100円ショップに行って、レジで払えず恥をかいたところでした。財布無くともスマホ持ての世の中になりましたね。。。