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【既得権益・権威主義】無くなりますかね?

日本 社会

時代とか国とかに関係なく存在する権威主義。結構まだまだいろんなところに存在しています。これのおかげで集団の統制がとれているうちはハッピーですが、そのまま続くとだいたい問題の方が大きくなっていきます。

これからの社会の流れ、どう考えていくべきなんでしょうか。

人はみな集団に属して

community
2人以上からが社会だとすると、その社会は他の社会に混じってどう存在していくべきかと考えることになります。家族単位や会社・団体単位、サークルやコミュニティ、そして行政の単位や国レベルまで、どこかしらに人は所属しながら生きていくわけです。

それらの集団単位が活動していく目的はそれぞれですが、たいてい考え方をまとめるトップリーダーが存在します。このリーダーは、自分たちはどう考えてどう行動するべきかなどの理論とか行動指針とかを発信して実行していきます。

今でこそ、世界の一員としてどう振るまわないとならないかを意識させるに十分と思える情報が簡単に手に入りますが、実際のところはまぁ身近な、自分の属しているコミュニティでの関わり方が一番興味あるところで、影響も大きいものになります。

コミュニティトップの考え方次第

management

ある会社やコミュニティのリーダーが、前例主義や多数決などを好むようになると、コミュニティ全体が周囲に比べて遅れをとることになります。周囲の社会単位は着実に進化していき、社会全体が次のステップに例外なく進んでいってるからです。

周囲から入ってくる情報により、メンバーが何らかの遅れ・違いに気づいても、それを周囲やリーダーやトップに伝えることをためらったりするような空気(忖度?)が作られている場合の原因は、妙な権威性が邪魔していると思われます。

主義までいかないまでも、自分はトップとして今までこうやって社会を生きてきたんだからこれでいいんだと思っているリーダーがいたとしたら、それは流行りの言葉では思考停止と言って良いんじゃないですかね?

自分の率いるコミュニティの信念を実現するために、周囲や社会全体の意識はどこに有るのか、どう変化したいのかを、所属しているメンバーたちに向けて耳を傾けているリーダーが良いですね。そうでない場合は権威に萎縮するか、だまって人が去っていくかになり、最後には価値を生み出さない寄り合いか、コミュニティごと崩壊かでしょう。

こうならないためにも、変化に素早く正しく対応できる情報共有の仕組みが求められます。

国家規模で比較される

analysis

デジタル庁の新設が話題になっていますが、大なり小なり既得権益で生きている人々にとっては、これから受難の時代になるのではないでしょうか。物事を進めるプロセスをデジタル化し、効果として省力化・コスト削減などの他に、内容の見える化が進みます。

これは効果として非常に大きく、ムダや矛盾、そして既得権益までも明るみになって社会で情報共有されてしまうんですから、権益を持っている人はガラス張りにしないように画策したりする人も出てくるかもしれません。

さらに権威主義の人たちにとっても、自らの考えや意思に賛同する人々を、自らの発信機会によって増やしていかねばならない時代でもあるので、いきなり国家や世界レベルの人たちとの比較対象にさらされるということになります。

つまり、いままでローカル的な権威として認められ、安定してステータスを保持していた人物が、いきなり比較対象が大規模で高品位の人たちとの比較となって、順位ガタ下がりみたいな評価をされる可能性アリということを覚悟しなければなりません。

国レベルでデジタル化が強制的に進められるということは、良きも悪しきも既得権益は一旦崩壊するもんなんだと覚悟をしたほうがいい時代になったんだと思います。ちゃんと考えることが必要になったということですね。

個々の題目で比較される他の社会とは? そうです、世界の他国ですね。

遅れをとった日本のデジタル化の挽回は、導入されるであろう新制度に乗り悪しき何かを、どうやって短期間に変えていくかにかかっているんじゃないでしょうか。しばらく様子見ですかね?